(欧州)中国SEP事件に係るTRIPS協定63条による情報提供要請概要 EU's Request for Information under TRIPs on China's SEP Cases
- 二又 俊文
- 2021年9月20日
- 読了時間: 7分
【解説 Commentary】国際法に詳しい山口大学大学院 竹内誠也教授より先般の欧州と中国のSEP判決をめぐるやり取りについての解説をいただきましたのでご紹介させていただきます。
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中国SEP事件に係るTRIPs協定第63条第3項による情報提供要請の概要
山口大学大学院教授・弁理士 竹内誠也
1. 概要 2021年7月6日付けにてTRIPs理事会は、欧州連合(EU)から中国に対してTRIPs協定第63条第3項に基づく情報提供要請が行われた旨を公表している[1]。
当該要請においては、中国での複数の標準必須特許(SEP)事件に関する情報提供が求められており、TRIPs協定下における知的財産権行使とその透明性確保の側面に関する事例として注目される。対象となるSEP事件には最高人民法院により 「訴訟差止命令(anti-suit injunction)」がなされた2020年のConversant v. Huawei事件(最高人民法院)ほか合計4つのSEP事件が含まれ、これら事件の全てについて、中国政府公式ウェブサイト[2]またはその他の手段により詳細情報の提供がされるよう要請されている。
2. EUによる情報提供要請
2-1. TRIPs協定第63条第1項及び第3項
TRIPs理事会により公表されたEUから中国に対する本件要請は、TRIPs協定第63条(透明性の確保)における加盟国による情報提供要請(同条第3項)をその根拠として行われている。
本条においてその第1項は、TRIPs協定が規定する事項に係る「法令,最終的な司法上の決定及び一般に適用される行政上の決定(Laws and regulations, and final judicial decisions and administrative rulings of general application)」の情報を、各加盟国が「公表」又は「公に利用可能とする」ことを規定し、これに続き同条第3項は「特定の司法上若しくは行政上の決定又は2国間協定(a specific judicial decision or administrative ruling or bilateral agreement)」について、「十分に詳細情報」を得られるよう加盟国は要請可能であることを明らかにしている。
2-2. 対象となる司法上の決定等
本件要請では、中国裁判所にて外国裁判管轄での関連訴訟係属を禁ずるいわゆる「訴訟差止命令(anti-suit injunction)」 が下された直近の諸事件、イ)Conversant v. Huawei事件(最高人民法院 )、ロ)OPPO v. Sharp事件(最高人民法院)、ハ)Xiaomi v. InterDigital事件(武漢中級人民法院)、及び二) Samsung v Ericsson事件(武漢中級人民法院)が、情報提供要請の対象とされている[3]。EUからの要請によれば、これら事件のうち「イ)Conversant v. Huawei事件(最高人民法院)」のみが中国政府公式ウェブサイトより情報入手可能であり、他の諸事件につき「EUは、他の3つの事件の判決が見つけ得るか否か、どこで見つけることができるかを明確にし、これら情報を提供するよう中国に求めたい」[4]旨が述べられている。
なお本件要請によれば、これら事件のうち一部は「暫定措置(inaudita altera parte)」としての処分であるとされ[5]、仮処分措置などに留まる司法決定及び第1事件(Conversant v. Huawei事件)に係るガイドライン(adjudication guideline)についても、その情報提供要請の対象とされていることに注意を要する。
3. EUによる要請への中国政府回答
上記要請に対し、同年9月7日にTRIPs理事会は、中国政府による回答を公表している[6]。
同回答にて中国政府は、「TRIPs協定第63条第3項に基づくEUによる情報提供要請に留意」するものの[7]、当該要請にて対象とされる諸事件は、中国法制においては単に「参照(cases for reference)」される対象に過ぎず、 「一般適用される法的効力を持たない(no legal effect of general application)」ことから[8]、同第63条第3項による要請に対して「中国が対応する義務はないという事実」を確認している[9]。この結果、本事案は「既存の二国間チャネルを通じて更なる議論を行う」べきものとし、TRIPs協定上の義務としての回答を事実上拒否している。
4. TRIPs協定第63条解釈と回答義務の存否
4-1. 第63条第3項における加盟国の権利・義務
TRIPs協定第63条第3項はその第一文にて、同条第1項にて公表義務の対象とされる「法令,最終的な司法上の決定及び一般に適用される行政上の決定」に関する情報につき、積極的に「情報を提供することができるように準備する(shall be prepared to supply)」(同条第3項第一文)義務があることを明らかにしている[10]。さらに同条第3項第二文は、同条第1項に規定される情報に加え、各加盟国の「特定の司法上若しくは行政上の決定」等につき、他の加盟国は「十分詳細な情報を得ることを書面により要請することができる(may also request in writing to be given access to or be informed in sufficient detail)」(同条第3項第二文)権利を有する旨を定めている[11]。
4-2. 第63条第3項第二文に係る回答義務と中国政府の本件対応
しかしながら、本条第3項各文による情報提供要請に対する各加盟国の応答義務の内容と範囲は明確ではない。特に同条第3項第二文より情報提供要請の対象となる「特定の司法上若しくは行政上の決定」(なかでも同条第1項規定の「法令,最終的な司法上の決定及び一般に適用される行政上の決定」に該当しないもの)に係る各加盟国の応答義務については、同条第3項にて「条文上の明示的な規定が置かれていないこと」から、必ずしも厳格なものではないと解する立場(「消極説見解」)[12]があることに注意を要する[13]。
本件における中国政府の対応は、かかる消極説見解に立脚しつつ第63条第3項解釈を行い、これによりTRIPs協定上の義務としての回答を事実上拒否している可能性があるものと推認される[14]。
5. 総括
本件での中国政府回答からも明らかなとおり、TRIPs協定における知的財産権行使などの透明性の確保に係る第63条第3項は、その対象とする加盟国の権利・義務の明確性に課題があるものと考えられる。同協定第71条の規定に従い、継続的に各加盟国実施の検討を行い、将来的な修正又は改正が適切に実現されることが期待される[15]。 以上
[1] WTO Council for Trade-Related Aspects of Intellectual Property Rights, Request for information pursuant to Article 63.3 of the TRIPS Agreement; Communication from the European Union to China; IP/C/W/682 (6 July 2021) [hereinafter EU’s Request Communication 2021], available at https://docs.wto.org/dol2fe/Pages/SS/directdoc.aspx?filename=q:/IP/C/W682.pdf&Open=True. Cf. Mark Cohen, EU Files Request at WTO for Chinese Disclosure of SEP Cases and Practices (6 July 2021), https://chinaipr.com/2021/07/06/eu-files-request-at-wto-for-chinese-disclosure-of-sep-cases-and-practices/, last visited 17 September 2021. 参照.
二又俊文 「SEP(標準必須特許)研究会; 欧州委員会 TRIPS協定に基づき、中国SEP判例への情報開示請求発出」(2021年7月7日)(https://ipr-study.wixsite.com/sep-research-japan, 最終閲覧日 2021年9月17日 )。
[2] Cf. China Judgements Online, https://wenshu.court.gov.cn/, last visited 17 September 2021.
[3] EU’s Request Communication 2021 at paras. 3-7.
[4] Id. at para. 8.
[5] Id. at para. 9.
[6] WTO Council for Trade-Related Aspects of Intellectual Property Rights, Response to the European Union's request for information pursuant to Article 63.3 of the TRIPS Agreement; Communication from China; IP/C/W683 (7 September 2021) [hereinafter China’s Response Communication 2021], available at https://docs.wto.org/dol2fe/Pages/SS/directdoc.aspx?filename=q:/IP/C/W683.pdf&Open=True.
[7] Id. at para. 2.
[8] Id. at para. 4.
[9] Id. at para. 2.
[10] UNCTAD-ICTSD, Resource Book on TRIPS and Development 645 (2005). Cf. Thomas E. Volpera, TRIPS Enforcement in China: A Case for Judicial Transparency, 33 Brook. J. Int'l L. 309, 337- 339 (2007), Natalie P Stoianoff, The Influence of the WTO over China’s Intellectual Property Regime, 34(1) The Sydney Law Review 65, 76-79 (2012) [hereinafter Stoianoff 2012], available at https://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=2069697, WTO, A Handbook on the WTO TRIPS Agreement 167-168 (Antony Taubman et al. eds., 2d ed. 2020), Jianqiang Nie, The Enforcement of Intellectual Property Rights in China 155-156 (2006). 参照. 尾島明『逐条解説TRIPs協定』 265頁(日本機械輸出組合, 1999), 鈴木將文 「中国-知的財産権の保護・実施に関する措置(WT/DS362/R) - TRIPS 協定の権利行使に係る規律をめぐって- 」 経済産業研究所ポリシーディスカッション・ペーパー 11-P-0011 1頁, 24頁(2011), 堀内博 「WTO体制下のTRIPS協定に関する分析 -知的財産権とその透明性- 」 日本大学大学院総合社会情報研究科紀要 第7号621頁, 630 頁(2006).
[11] Id at 646.
[12] Id. なお2006年1月23日付けTRIPs理事会公表の米国からの第63条第3項要請への中国政府回答においても、その第8パラグラフにて同一内容の消極説見解が表明されていることが注目される( China’s Response Communication 2021 at para. 8.)。Cf. Stoianoff 2012 at 78.
[13] しかしながらTRIPs協定第63条第3項の解釈については、国際法上にて確立されたウィーン条約法条約第31条による法源解釈に従い、TRIPs協定第7条・第8条規定の「目的」と「原則」の規定に従い合理的な条項解釈がなされるべきと著者は考える。なおカリフォルニア州立大学バークレー校 マーク・コーエン教授も、「目的論的解釈(teleological interpretation )」に言及のうえ同様の見解を下記にて示唆している(cf. Mark Cohen, China Responded to EU Article 63 Request (7 September 2020), https://chinaipr.com/2021/09/08/china-responds-to-eu-article-63-request/, last visited 17 September 2021)。
[14] 中国政府検討においては、消極説見解に立つつつ、コモンロー法体系・シビルロー体系における司法判決の法的位置付けの相異(すなわち「一般適用」と「参照」利用)を前提に、EUが要請対象とする諸事件(特に公式ウェブサイト未記載の3事件)が第63条第1項「法令,最終的な司法上の決定及び一般に適用される行政上の決定」の対象となり得るか否かが、その念頭に置かれている可能性があるものと考える。Cf. Stoianoff 2012 at 77-78.
[15] なお本件に提起された「訴訟差止命令」の取り扱いについては、国際民事訴訟における国際礼譲のあり方などに係る争点を孕んでおり、国際私法などの観点からの法的検討が求められる。またあわせて条約法源解釈と国家管轄権などに係る国際法(国際公法)上の検証も望まれるものと考えられる。
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