車載コネクテッド技術をめぐるSEP訴訟の最前線:Avanci・Broadcomを軸に SEP Litigation in the Automotive Sector: The Avanci and Broadcom Dimensions
- Toshi Futamata
- 6 分前
- 読了時間: 9分
February 28, 2026 by Toshi Futamata
Executive Summary
自動車の「コネクテッド化」が急速に進む中、標準必須特許(SEP: Standard Essential Patent)をめぐる訴訟が車載産業の重要課題として浮上している。この問題は、技術標準化によるイノベーション促進と、その成果に対する適正な対価回収という、双方にとって正当な利害が交錯する構造的課題である。
2026年2月、ミュンヘン地方裁判所はBroadcom(子会社Avago)対ルノー訴訟において、ルノーのClio・Méganのドイツ国内販売禁止命令を下した。この判決が注目されるのは、FRANDライセンス料算定に関する9つの指針原則を初めて明示した点であり、権利者・実施者双方にとっての透明性向上に向けた重要な一歩となった。
今回のSEP訴訟の構造は大きく2つの軸で理解できる。
- Avanci軸:Nokia等のセルラーSEP(4G/5G)権利者が結成する特許プール。プールライセンスは権利者側の効率的な権利行使と実施者側の一括処理という双方にメリットをもたらすが、料率設定やカバレッジをめぐる議論は続いている。トヨタ・ホンダ・日産は2022年にAvanci 4Gライセンスを、2024〜2025年にかけて5Gライセンスをそれぞれ取得済みだが、EthernetなどAvanci対象外の技術は別途対応が必要となる。
- Broadcom軸:Avanci対象外のEthernet・車載通信ネットワーク技術SEP。テスラは和解で決着したが、ルノー・日産・現代は現在もUPC(統一特許裁判所)で係争中である。
根本的な問題は、**権利者・実施者それぞれの合理的な利益を確保しつつ、どのようにバランスのとれたライセンス環境を構築するか**にある。今回のミュンヘン地裁のFRAND計算可視化の試みは、その方向への一歩として評価できる一方、課題も多く残る。サプライチェーン全体における費用負担の分担のあり方など、より広い構造的問題についても今後の議論が求められる。
詳細解説
1. SEPと自動車産業:双方の正当な利害
現代の自動車にはWiFi、4G/5G、Bluetooth、Ethernet、V2X(車車間・路車間通信)など、膨大な数の通信標準技術が搭載されている。これらの標準技術は、多数の企業が協力して策定するものであり、その策定に貢献した企業は「標準必須特許(SEP)」を保有し、実施者からFRAND(公正・合理的・非差別的)条件でのライセンス料を得る権利を持つ。
標準化は技術の相互運用性を保証し社会全体に恩恵をもたらすが、SEPは事実上の強制ライセンス的性格を持つため、権利者と実施者の間には構造的な緊張関係が生じやすい。
この緊張関係をめぐる議論の重心は、近年大きく変化している。かつては、SEP権利者が標準採択後に実施者に対して過大な対価を要求するという「ホールドアップ(hold-up)」問題が中心的な論点であった。しかし近時の議論では、むしろ実施者側による「ホールドアウト(hold-out)」——すなわち、ライセンス交渉に誠実に応じることなく意図的に引き延ばしを図り、ロイヤルティ支払いを回避または最小化しようとする行動——がより深刻な問題として認識されるようになっている。
この変化の背景には、中国系企業の台頭が大きく関係している。一部の中国系実施者は、国内裁判所での「アンチスーツ・インジャンクション(anti-suit injunction)」取得や訴訟の長期化を戦術的に活用することで、欧米の権利者によるライセンス交渉を事実上無力化するホールドアウト戦略を採ってきたとされる。こうした実態が、ミュンヘン地裁をはじめとする欧州裁判所が実施者の「誠実な交渉意思」を厳しく問う姿勢を強める一因となっている。今回のAvago v. Renault判決においてもルノーの「交渉意思の欠如」が差止命令の決め手となったが、その法理的背景にはこのホールドアウト問題への強い問題意識がある。
もちろんホールドアップの懸念が完全に消えたわけではない。しかし権利者・実施者双方にとって公正な枠組みを議論する際には、現在の主要な争点がホールドアウトに移っているという認識を共有した上で議論を組み立てる必要がある。
ミュンヘン地裁で特許事件を担当するOliver Schön裁判長は、2025〜2026年にかけて同裁判所の特許事件件数が**43%増加**したと述べており、自動車関連SEP案件がその主要な要因の一つとなっている。
2. Broadcom v. Renault判決(2026年2月)の意義
事件の概要
- 原告:Broadcom(子会社Avago)
- 被告:ルノー(共同被告:サプライヤーのValeo、Bosch)
- 問題特許:EP1903733(IEEE 802.3bw規格:車載ナビ・テレマティクスユニット向けEthernet SEP)
- 結果:ルノーのClio・Méganのドイツ国内販売差止命令
注目すべき法的判断
① 交渉プロセスの重要性
裁判所はBroadcomのFRAND条件を適正と認定した上で、ルノー側に誠実なライセンス交渉意思が欠如していたと認定した。この判断は、権利者が適正条件を提示している場合、実施者には誠実に交渉に応じる義務があることを改めて確認するものである。同時に、権利者側にも透明性のある条件提示が求められることは言うまでもない。
② FRAND計算の透明化:9原則の提示
本判決の最大の意義は、従来のプールライセンス参照方式に代わり、**プール外の個別比較可能ライセンス契約**に基づくFRANDライセンス料の具体的計算を初めて実施した点にある。裁判所が示した原則の例:
- 複数のライセンス合意が提出された場合、FRAND許容幅は最低値の3倍、または平均値から上下50%の範囲で決定する
- 比較ライセンスの透明性確保を双方に求める
この試みは、SEP交渉における「暗黙の相場」を可視化し、権利者・実施者双方にとっての予見可能性を高めるという観点で評価できる。一方で、9原則の具体的内容やその普遍性については、今後の判決や学術的議論を通じた検証が必要である。
3. BroadcomのUPC戦略:3社並行提訴
ip fray(2026年2月24日付)の報道によると、Broadcomは現在UPCにおいて以下の3社を並行して提訴している。
Broadcom(Avago)
├── ルノー → ミュンヘン地裁で販売差止済 + UPCでも係属中
├── 日産 → UPCで提訴中(新規申立/係属中)
├── 現代Hyundai → UPC ミュンヘンLDで係属中(EP3651429)
└── テスラ → 和解済
現代については「長期的な特許訴訟を好まない傾向があるため和解に至る可能性がある」との見方がある。各社がどのような形で解決を図るか、あるいは法廷での権利関係の明確化を選ぶかは、産業全体のSEPライセンス規範形成にも影響する。
なお、BroadcomはVW/Audi相手に過去に数十億ドル規模の和解を成立させた実績があり、積極的な権利行使方針は一貫している。
4. Avanci軸:プールライセンスの功罪と日系OEMの対応経緯
Avanci特許プールとは
Nokia、InterDigital、Qualcommら主要セルラーSEP権利者が形成する特許プール。車載コネクテッド技術向けに、1台あたり定額のライセンス料(4Gは15ドル、5Gは28〜32ドル)でまとめてライセンスを提供するモデルであり、実施者にとっては個別交渉コストを削減できるメリットがある。権利者にとっても広範なライセンス取得を効率的に実現できる仕組みである。
一方で、「プール料率が適正なFRAND水準か」「プール外権利者との関係はどうなるか」「サプライチェーンのどの階層が負担すべきか」といった論点は依然として未解決である。
日系OEMの対応年表
- 2022年初頭:Nokia等48社がトヨタ・ホンダ・日産に1台あたり15ドルの特許料を要求。日産・ステランティスに対してはすでにミュンヘン地裁で提訴済みだった。
- 2022年9月:トヨタ・ホンダ・日産・ステランティスがAvanci 4Gライセンスに合意。OEMが直接ライセンスを取得するという実施者側の構造的転換点となった。訴訟は取り下げ。
- 2023年:Avanciが5Gプログラムを開始(早期加入料率$29、通常料率$32)。日産・現代・起亜・GMは順次取得。トヨタ・ホンダは当初未加入。
- 2024年2月:GM、VW、Ford、Volvo Cars、Polestarが5G取得。
- 2024年7月:トヨタがOPPOから4G/5G SEPを取得。実施者から権利者側へのポジション変化として注目される。
- 2024年10月:トヨタがAvanci 5G Vehicleライセンスを取得。主要日系OEMとして初の5G加入となった。
- 2025年初頭:ホンダがAvanci 5G Vehicleライセンスを取得。
- 2025年4月:日産・INFINITIがAvanci 5G Vehicleライセンスを取得。主要日系OEM3社が出揃う。
- 2025年秋頃:トヨタはOPPO由来のSEPをAvanciに拠出し、**ライセンシーとライセンサーを兼ねる**初の自動車メーカーとなった。他OEMがAvanci経由でトヨタにロイヤルティを支払う構図が生まれた点で、業界構造の変化を象徴する出来事である。
6. セルラーSEP:次の焦点は中国OEM
日系・欧米OEMの多くがAvanciライセンスを取得した結果、Nokia等の権利行使の焦点はGeely(吉利汽車)等の中国OEMに移りつつある。2025年7月、NokiaはGeely(VolvoブランドはAvanci取得済みだが、他ブランドは未取得)に対してUPCとドイツ国内裁判所で提訴している。この構図は、グローバルな標準化の恩恵を受ける全てのプレイヤーが等しくライセンス義務を負うべきとの権利者側の論理を反映している。
7. 構造的課題:バランスのとれた解決に向けて
今回の一連の動向が示すのは、個別訴訟の勝敗にとどまらない、産業全体における**SEPライセンスの公正な枠組み構築**という課題である。
① FRAND計算の透明化は双方にとって必要
ミュンヘン地裁の9原則の試みは、権利者が一方的に条件を設定し実施者がそれを飲むか訴訟で争うかという二択の構造を変えうる可能性を持つ。透明な計算基準は、権利者による過剰請求と実施者による不当な拒絶の双方を抑制し、交渉の合理化に資する。
② Avanciプールモデルの評価と限界
Avanciプールは多数の権利者と実施者の間の取引コストを劇的に削減するモデルとして機能してきた。しかし、Avanciがカバーしない技術領域(EthernetやWiFiなど)については個別対応が必要であり、実施者側の「プールを取れば安心」という認識とのギャップが今回の問題を生んでいる。権利者・実施者双方が参加しうる包括的な枠組みへの発展が今後の課題である。
③ UPCという新たな場の役割
UPCはEU加盟国全域に効力が及ぶ判断を下せるため、1件の訴訟が持つインパクトは従来の国内訴訟より格段に大きい。これはSEP問題の解決を促進する圧力として機能しうる一方、権利者側の交渉力を一方的に高めるリスクも内包する。UPCがどのようなFRAND規範を形成するかは、自動車産業全体に長期的影響を与える。
④ 問題の提起:サプライチェーンでの負担分担
本記事では詳細に立ち入らないが、OEMが直接ライセンスを受けるモデルと、Tier1・Tier2サプライヤーが技術を組み込む実態との間には、費用負担の帰着という未解決の問題が存在する。ライセンス料を誰がどの段階で負担すべきかという問いは、今後の重要な研究テーマである。
8. 今後の注目点
- ミュンヘン地裁のFRAND計算9原則がUPCや英国裁判所にも採用されるか、あるいは異なる基準が競合するか
- トヨタのライセンサー兼ライセンシーというユニークな立場:他OEMのAvanci追随を促すか、また自動車メーカーによるSEP取得・プール拠出という新モデルが業界に波及するか
- UPC vs 英国裁判所の管轄競争(ミュンヘン地裁は英国のFRAND暫定ライセンス制度を批判している)
- 中国OEM(Geely等)への訴訟拡大と、グローバルなSEPライセンス規範の収斂可能性
- Broadcomポートフォリオの更なる活用:WiFi・Bluetooth等への展開の可能性
<参考記事リンク>
1. JUVE Patent – “Regional Court Munich calculates Avago licence and issues injunction against Renault” (2026年2月24日)
1. ip fray – “Volkswagen Group files its first two UPC cases (against PACCAR); tech giant Broadcom is now suing three automakers there in parallel (Renault, Nissan, Hyundai)” (2026年2月24日)
1. ip fray – “Breaking: Munich court bans Renault’s sales of Clio, Mégane cars over Broadcom Ethernet SEP” (2026年2月6日)
1. ip fray – “First trillion-dollar patent troll: Broadcom is more profitable and several times more valuable than anyone with an active assertion program ever was” (2026年2月7日)
1. JUVE Patent – “Munich Regional Court further clarifies FRAND rules in Wilus vs Asus judgment” (2026年1月30日)
https://www.juve-patent.com/cases/munich-regional-court-clarifies-frand-rule-in-wilus-asus-judgment/
1. JUVE Patent – “Nokia vs Asus and Acer: Regional Court Munich redefines FRAND rules” (2026年1月28日)
1. ip fray – “Nokia sues Chinese automaker Geely in UPC, Germany over 5G SEPs” (2025年7月22日)

本記事は公開情報に基づくブログ筆者による情報整理であり、法的アドバイスを構成するものではありません。



コメント